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【2024/04/20 16:37 】 |
作画の鬼 電脳コイル
 ちょっと時間(と気力)が取れませんでしたので電脳コイル考察シリーズは今回はお休みとさせて下さい。

 その代わりと言っては何ですが、先日見付けた電脳コイルの原画の動画をご紹介。
 
 実際に作品になってしまえばそういう物としてすんなり受け入れてしまうのですが、こうしてその途中の作業を見ると改めてアニメを作るという事が大変な事なのだと実感させられますね。

 それにしてもアニメーター、特に原画を描く人というのは凄いですね。
 もちろん努力をしたからこそなんですが、その能力が非常に羨ましいです。

 ついでに私が描いたデンスケの元になったシーンの原画もありまして、発見した時は嬉しいやら恥ずかしいやらな気分になりました。
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【2010/08/11 12:07 】 | 電脳コイルに関するアレコレ | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
メガネの開発にまつわる歴史 イマーゴと電脳医療(1)
 さて『メガネ』について突っ込んで書こうという事でテーマを絞ってみます。

 『イマーゴ』と『電脳医療』について。

 などと書き出しておきながら今更な事を言いますと、私の電脳コイルの知識というのは基本アニメの情報だけです。
 小説版も読んでは居ますが、あちらはアニメ版と違う設定が多々見られるのでアニメの考察を行う際にはあまり参考にしない方が良いだろうと考えて居ます。
 また、私の書く各種の話題についても基本は素人の浅知恵ですので詳しい方は間違いを各所に発見されるかもしれません。
 読まれる方はその事を念頭においた上で読み進められるように願います。
 また、もし間違いを見つけた場合は指摘して頂けると助かります。

 それでは本題。

 オジジの残した資料によると、コイルスの主任技師である猫目(父)により量子回路のある基盤パターンが高性能なアンテナと成る事が発見される。ついでに人間の意識(脳波)に対しても送受信可能な事を発見し、これをイマーゴと名付ける。みたいな事をオバちゃんが言ってました。

 まずこのイマーゴの発見時にどんな動きがあったか考えてみたいと思います。

「何かノイズが混じってないか?」
「メガネをかけてる時にしかこのノイズ入らないな。」
「ひょっとしてこのノイズは脳波じゃないか?」
「そうかもしれん。しかし波形パターンの意味する所がサッパリ分からん。」
「ではまずは波形パターンの解析だな。」

 といった流れがまずあったろうと思います。
 こうして脳波の解析作業が始まる訳ですが、その解析方法にはどんな物があるのか。
 専門の方であればもっと有効な方法を挙げる事も出来るかと思いますが、とりあえず私の妄想にお付き合い下さい。

 まずは簡単な所で考えると、全て「いいえ」と答えるYes/No問題。そう、嘘発見器ですね。ヤバイですね、イマーゴでやるとかなり精度が高いかもしれません。

 またメガネ装着者が声を出さずにモニター上に文字を表示させる、もしくは電子音声を使用するなどの方法で会話を行う実験も考えられます。

 作中のように手を使わずに考えるだけでPCを操作する実験もあったでしょう。

 比較的早い段階で行われたのではと思われる実験に、仮想の電脳体を用意し受信した脳波でそれを動かすという実験が考えられます。
 メガネをかけた人間が動き、電脳体が同じ動きをするように調整する事で脳波の翻訳作業を進めた物と思われます。
 そしてこの実験が電脳空間の始まりだったのでは、とも考えています。

 ここまでは人間側からの出力のみです。
 しかしイマーゴには人間側への入力機能もあります。

 思うに、この入力機能こそが副作用などの人体への悪影響となったのだろうと予想しています。
 出力するだけなら、おそらく脳が普段から垂れ流している脳波をメガネで受信させるだけなので問題はないように思われます。
 しかし入力となるとこれは脳に対するノイズに成ってしまいます。
 例えば音声だけなら空耳と判断するか、現実に存在する音の一部だとでも思えば何とかなりますが(それでも問題はありますが)、これが運動に影響する物だったり痛みや熱さなどの触覚に影響するものだった場合は明らかに実生活に混乱をもたらすでしょう。
 また、自覚を伴わない体機能に影響する物もあるでしょう。気付かぬ内に体がボロボロという事も充分ありえます。

 その為、脳からの出力を元に詳細な脳波の解析を行い、更にそれを元にして脳への入力、つまりメガネから出力する際の精密な制御が要求されます。
 その為の調査空間として本格的に実験空間が作られたのではないかと愚考しています。
 実空間と違い、電脳空間であれば脳からの情報をダイレクトに反映させる事が可能で、調整、調査が容易に思われるからです。この種の実験において電脳空間というのは最適な環境だったのではないでしょうか。
 それでもやはり完全な解析は不可能だったのでしょう。
 完全な解析とは即ち脳の完全な解析でもあり、流石にそれは無理だろうと思われますので。

 そしてイマーゴの年齢制限についてですが、これは人体の適応能力による物なのではと推測しています。
 例えば斜視という物があります。芸能人で言えばテリー伊藤さんがそうですが、傍から見ると両目の焦点が合っていない様に見える症状の事です。
 この症状があるのは生来の方ばかりでなく、元々は症状がなかったものの徐々に症状が出るケースもあるそうです。
 後者のケースの場合の本人の自覚ですが、鏡を見ない限り自覚はないそうです。
 つまり両目からの入力情報は徐々にズレて行くのですが、脳がそれを補正していくので本人に自覚は出ないそうです。
 ついでに書きますと、前に書いた3DTVですが、あれは正常な視角を持つ人に合わせて両目にそれぞれの映像を送るので、斜視の人には普段と違った具合になるため頭痛を引き起こす事があるそうです。軽度の物も含めると斜視の人の割合は結構な数値になるそうで、その点の改良が必要であるというのを発売前に見たのですが、結局どうなったのかは知りません。

 こういった適応能力は若い人の方があるそうなので、子供なら適応して無害に出来るノイズでも大人には無理といった事なのではという妄想をした所で今回はここまで。

 次回は電脳医療についても触れる予定。
【2010/08/04 20:00 】 | 電脳コイル考察 | 有り難いご意見(5) | トラックバック()
メガネの開発にまつわる歴史(?) その参
 電脳コイルの世界ではそのように電脳情報を拡張現実として扱う事により、先に述べた問題を解決したのだろうと考えられます。

 電脳世界のこういった現実世界へのアプローチの仕方は、日常生活そのものに対して電脳世界から補助させる事を容易にするでしょう。
 今の我々では創造もつかない、それこそ電脳コイルの世界でも描かれなかった様々な手段で人々の生活をサポートする事になったと思います。

 パッと思いつくのは3Dモデリング。
 これは生活と直結した物では有りませんが、今現在ある物とは画期的に違う物になっている筈です。
 既に電脳空間が整備されている事が前提なのかも知れませんが、メガネのカメラから得た情報を瞬時に3次元データとして処理出来ています。
 電脳空間上にそれまで無かった現実の物体があっても、メガネを装着した物がぐるりと周りを一周すれば即座に3次元データを作成出来る筈です。
 またキョウコがデンスケ及びモジョを虐待した電脳粘土や電脳木等を使えば、現実の彫刻の様な事を電脳技術も交えつつ遥かに簡単に出来るように成ります。

 またメガネ本来の視覚補助としての機能も、従来のメガネの様にただ単にレンズの光学的な機能に頼るばかりではなく、電脳的な技術を使う事でユーザーごと、使用環境の違いから来るその場ごとの必要に応じて最適な補助を行う事が可能になります。

 これだけのメガネならではのメリットがあれば、装着の面倒さなどはもはや障害にはならないだろうと思われます。



 しかしながらコレらは電脳空間の整備か、またそれが無いのであれば電脳コイル世界のようなカメラ機能も備えたメガネとそのカメラから取得した映像を瞬時に判断し、かつ電脳情報に反映させるという非常に優れたソフトと、個々人に対しそれを可能にする演算能力を持ったコンピューターが必要になります。

 コイルス社の開発したとある回路のおかげで電脳インフラの整備が可能になったとあるので、作中で見られるような環境がメガネが全世界に普及したという11年前からあったかどうかは非常に興味が惹かれます。
 最初からあったのであればコイルス社が回路開発後にメガネが普及したという事でメガネ普及における障害も自然と回避出来ますが、そうでなかった場合は我々の現実でも可能になるであろう方法で障害を回避したと考えるのが妥当でしょう。

 では現実世界でこの方向に進もうとする時、どのようなアプローチが可能でしょうか。
 といった考察もしてみたいし話の流れとしてはそうした方が自然な気がしますが、これについてはまた別の機会にしようかと思います。



 とりあえず今回はここまでとして、次は電脳コイル世界のメガネの考察を突っ込んでしてみたいと思います。
【2010/08/04 14:07 】 | 電脳コイル考察 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
メガネの開発にまつわる歴史(?) その弐
 そんな具合に色々と妄想を膨らませつつ日々を送って居た所に電脳コイルと出会い、そして自分の想像力の貧困さを思い知らされる事になりました。

 誰かが言っていた事ですが、電脳コイルの素晴らしい点として拡張現実という発想とそれを現実的かつ非現実的という矛盾を抱えたままに見事に表現しきった事が挙げられます。

 先に書いたような妄想を繰り広げていた私にとって、これはまさに驚きであり、目から鱗であり、はたまた悔しかったりもしました。
 私はそれまでのSF表現でよくあったように、現実世界から遮断した上で作り出された仮想現実の世界を見せるといった類の事しか考えてなかったのです。
 私の興味はメガネというかHMDそのものにあった訳ではなかったので、思考の方向性として仕方ないといえば仕方ないのですが、それでもやはりこの発想が出来なかった事に自分の未熟さを感じてしまう訳です。

 情報としては反対側の景色を透過した上で情報も表示出来る透明状のモニターが存在する事は知っていました。また、今から思い出しますと、SF映画などでは簡単な文字情報を表示させるだけならその手のメガネやサングラスは既にベタなアイテムでもありました。
 これだけの情報が揃っていれば発想出来ても良さそうな物なのですが、実際にそれが出来るか出来ないかというのが凡人とそうで無い者の差なのでしょうか。



 現実問題として考えた時、電脳コイルでのメガネの扱われ方はウエラブルコンピューターとしてのHMDのあり方として非常に有効であるように思われます。
 HMDというのは、私も考えていたように作られた映像を見せる、ないしは通常のPCモニターの代替品とするだけでは幅広く普及するのは難しいように思えるからです。

 だってメガネを装着するという行為その物が面倒ですから。
 ついでに言うと現状のHMDでは現実の視界が遮断される為に「さあ何かやるぞ!」と何かしら意気込んで取り組む必要があるので更に面倒です。

 また最近出回り始めた3DTVも専用メガネが必要なので、そこまで普及しないんじゃないかと思ってます。
 メガネを必要としない裸眼観賞可能なモニターも開発されているようなので、これが市場に出れば3DTVの普及は加速するでしょう。
 余談ですが、任天堂の携帯ゲーム機であるDSで3Dの物が発表されましたが(もう発売されてるかな?)、これは有効視野角がかなり限定されています。また技術的にどこまで難しい事なのかは知りませんが、立体視を可能にしている部分は素人である私にも簡単に理解出来る理論で作られており、その点から考えるにここから更に発展させるにはかなりハードルがありそうなので3DTVを考える上では例外としておいた方が良いように思われます。

 もし専用メガネが必要な今の3DTVが広く普及するようであれば、ここでの論旨における考えを改める必要があるのかもしれませんが、ひとまずあまり普及しない物として扱います。
 ともあれ、HMDが一般的に普及する上ではこの面倒臭さを乗り越えるだけの何か大きなメリットも必要に思われます。


 さて、ここからHMDを考えていく上で現在発売されている現実の視界を遮断する類の物は除外し、“メガネ”のように現実の景色を透過して見れる物を念頭に置く事にします。

 既存のモニターの代替品とするだけなら、面倒を感じさせるメガネ型を使う必要はなく、これから更に発展を遂げるであろう携帯電話なりiphonなりipadなりそれに準じた何かを使えば良いわけです。
 四六時中常に使い続けるのでない限り、必要な時に取り出して使う物の方が利便性は高い様に思われます。
 次に述べる問題点もありますし、メガネが誰にでも広く普及するというのは難しい様に思われます。

 これは電脳コイルと出会ってから調べて知った事なのですが、現在の“メガネ”開発における問題点として、表示される情報に気を取られ、それが実作業の障害となるという事があるそうです。
 確かにありそうです。これが解決されない限り危なくてメガネの販売は出来ないでしょう。
 カンナが誤解された様にではなく、間違いなくメガネを原因とした本人の不注意による事故が多発するでしょう。
 電脳コイル世界では一応解決された問題なのでしょうが、そういった事故が全く無いとは言えないでしょう。

 
 さて、では電脳コイルの世界ではこの問題がどうやって解決されたか。
 これがかなり上手い事やって解決したように思われるのです。

 拡張現実として現実の空間に溶け込ませる形にし、かつそれにより多少の不便性を生じさせる事で現実世界への注意も自然に保たせる事に成功したのだと考えて居ます。

 例えば第一話でヤサコがデンスケを探す場面。
 デンスケの位置を表示するソフトの画面を開いています。立ち止まっている時は空中に浮かんでますが、ヤサコが移動すると付いて来てはくれません。その為にウィンドウを手で持って移動しています。
 これなら現実に地図を片手に歩いているのと同じです。
 地図を片手に歩くのも危険ですが、それで地図を見るのは面倒ですし危険さも自覚できます。
 また電脳コイル世界のように電脳空間が整備されているのなら、ああいった地図ではなく電脳標識を要所要所に表示させるなどの空間的な手段があっても良さそうなのですが、この世界では電脳空間は共有されているので個人の為の空間設置物は歓迎されないのだろうと思われます。
 その代わりに電脳ペットなどに道案内機能を持たせ、その後に続いて歩く、なんて事はありそうです。

 サッチーにしても管理側の物なのですし実利面で考えれば特定の形態を持つ必要も移動における制限(管理外ドメインの問題でなく単純な移動速度などの問題)もフォーマットの際の光線のエフェクトも必要ないのでしょうが、メガネを実用化する際に上記のような観点から、電脳空間上で何がしかの変化がある場合、もしくは影響力のある物は現実に則したように見える視覚的エフェクトを伴わなければならない、といった様なお約束があったんじゃ無いかと考えれば納得出来る訳です。

 続きます。
【2010/08/04 11:54 】 | 電脳コイル考察 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
メガネの開発にまつわる歴史(?) その壱
 私が『電脳コイル』と出会ったのは本放送の第三話。
 同じ頃に私の好きな漫画がアニメ化され放送されていたのですが、そちらの監督が電脳コイルにチョロっと参加しているとネットで見知ったのが切欠です。

 その第三話を観ての感想。
 まず丁寧に作っているなと感じました。
 またメガネ及び電脳世界という発想として非常に興味深い物が見られ、それらが日常の中に溶け込んでいるその描き方にも惹かれました。
 とはいえ、この時点では面白さは保留、期待感はあるので視聴継続を決めたという程度でした。

 そして迎えた翌週。第四話『大黒市黒客クラブ』。これにやられました。
 あの電脳戦争の場面です。
 ショートカット、ミサイル、鉄壁、暗号、などなど如何にも非日常なSF的アイテムを使いつつ、我々から見て従来のSFでは現実とかけ離れた物であったこれらの描写をメガネを使った子供達の電脳遊びとして描いた事で、いかにも近未来的にに有り得そうで「これなら何時か実際に遊べるかも。むしろ何時か遊んでみたい」というある意味で身近に感じられる描き方がなされていたのです。
 この場面は映像的にも派手で面白く、電脳コイルの持つキャッチーな面を端的にあらわしてもいるのですが、その意味でもやられました。
 それでこの作品は面白いなとなって、以後毎週録画しては毎日それを見返す日々が続く事になりました。


 ここで一端、電脳コイルから話は逸れます。

 私は電脳コイルと出会う以前からHMD(ヘッドマウントディスプレイ)による映像表現という物に興味を持ってました。
 HMDとは電脳コイルのメガネの様なものです。ただし一般的にはメガネのようにレンズの向こうの現実の景色が見える事はなく、周囲への視界は塞いでHMDに映る映像を見せる物だと思われてました。(現在ではメガネのようにレンズの向こうの景色が透過して見える物も開発されています。問題があり実用化はまだ先のようですが。)
 SF映画や漫画などでは昔から使われていた道具ですね。

 現実でも1990年代から市販されていました。私も十年以上前になりますが電気屋さんで試着(?)した事があります。
 最近の物を試した事はないのであくまでその十年以上前の話ですが、これはまあ残念な出来でした。
 メガネの様な非常に狭い範囲で、仮想上で何メートルか手前にかなり大きめのスクリーンを映し出す訳ですから、当時の技術では画像が粗くならざるを得なかったわけです。この点は現在の物であれば多少は改善されていると思われます。

 またそれ以外の点でも問題はありました。
 HMDの持つ利点という物が全く生かされていなかったのですね。
 SFでこれが使われる時は全視界型の映像を見せる事でVR(ヴァーチャルリアリティー)へ没入する道具として登場しています。
 私が見た物はどれも多少大型のスクリーンが眼前数メートル先にあるといった程度の物で、没入感といった物は欠片も感じられませんでした。
 また、左右の目に別々の映像を映すことによる立体視なんてものありませんでした。

 更に何も技術的な問題ばかりではなく、おそらく今でも改善されてないだろう問題もあります。
 ソフトがないんですよね。
 立体視に関しては、アバターなど昨今はその手の映像作品が増えていきそうな気配があるので大丈夫そうですが、全視界型の映像に関しては現在でも全くと言って良いほど有りません。
 HMDに限らず全視界型のモニター環境が普及した上で(もしくは普及することを前提とした上で)なければ、それ用のソフトが開発される事はありません。
 その意味ではこの先もまだまだそういったソフトが開発される事はなさそうです。

 ついでに言いますとそういったソフトを開発する上では製作環境として全視界型モニターが必須になるのですが、技術的には可能だと思いますが製品としては存在していないので、特注でもしない限り製作環境を整える事すら不可能な訳です。


 とはいえそういった全視界型の映像が本当に全く無いかと言うとそうでもありません。
 代表的な物を言えばプラネタリウムですね。
 昔であればおそらく不可能だったでしょうが、現在ではプラネタリウムのスクリーン上にキャラクターが出て来て全周囲的な活躍をするなんて物もあります。
 また各種アミューズメントパークでもこの手の物はありますよね。
 ゲームセンターでは、ガンダムのコクピットを模した筐体に入り半球状のモニターに映った映像の中でオンライン対戦をするゲームもあるそうです。(これに関しては見た事もありませんが)
 他には現代アート作家でその種の手法を使われる方も居ますが、何れにしろどれも一般的ではありません。


 しかし最近知名度を上げて来ている物もあります。
 アバターが上映された事で有名になったIMAXシアターです。
 私はアバターは見なかったのですが、こちらも十年以上前になりますが新宿のIMAXシアターに行った事があります。

 この以前から人間の視覚を意識した上での映像表現というか視覚表現に興味があって、だからこそIMAXシアターの噂を聞き付けて出掛けたのですが、実際に行ってみて改めて色々と考えさせられるようになりました。

 ヘミングウェイの『老人と海』をロシア人の作家が油絵のアニメーションで描いた作品を主な目的として観に行ったのですが、こちらの作品は内容は良かったものの特にこの劇場で上映する必要性を感じられる作品ではなかったので今回は関係有りません。

 たぶん爆笑問題だったと思うのですが、お笑いの2人組みが出てくる作品というよりIMAXシアターの宣伝番組みたいな物も上映されたのですが、こちらは内容は詰まらなかったのですが体験としては非常に面白い物でした。
 例の立体視の為のメガネを装着した上で見たのですが、その立体視による臨場感もさる事ながら、IMAXシアターならではのテニスコート二枚分だか三枚分だかの大スクリーン。
 これをフルに使った映像というのは、視界をほぼ完全に占有してしまいます。
 通常、どんなに大画面であっても画面という四角として目に映り、四角の外の現実世界も当然目に入ります。
 映画館など四角の外は真っ暗であったとしても四角く切り取られた風景というのは、どうしてもその内と外とを見る側に認識させてしまいます。
 それがこのIMAXシアターにはありませんでした。
 現実世界を認識しようとしても出来ないんですよね。
 嫌が応でも映像世界に没入せざるを得ない。
 一応それまでにもアミューズメントパークなどで似たような体験をした事はあった筈なんですが、なんと言うかインパクトが違いました。正直かなりの衝撃を受けた訳です。
 また専用メガネによる立体視を用いない、先の宣伝番組程ではなかったと思うのですがスクリーンをかなりフルに使ったショートストーリーのドラマのような物もあったのですが、こちらも立体視が無いにも関わらずかなりの没入感があった様に覚えています。

 そんな当時の感想として、これを日常的に見られるHMDが普及したとしてもどっかで規制が掛かるんじゃないかと思いました。
 何と言っても没入し過ぎます。
 おそらくVRゲームが大流行すると思われるのですが、その世界から抜けられなくなるんじゃないかと本気で考えざるをえませんでした。

 ともあれ、それ以前から視覚表現に興味があったのは既に書いた通りですが、それは何もメガネやHMDに限った話では無かったわけでして、特にそういった映像表現を普及させうる手段といった考え方もすることは無かった為に様々な手段の一つとしてHMDを考えていたのですが、この体験から日常的に普及させる手段としてHMDにより興味を持つ様になりました。

 続きます。
【2010/08/04 07:33 】 | 電脳コイル考察 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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