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【2024/05/03 15:15 】 |
メガネの開発にまつわる歴史(?) その壱
 私が『電脳コイル』と出会ったのは本放送の第三話。
 同じ頃に私の好きな漫画がアニメ化され放送されていたのですが、そちらの監督が電脳コイルにチョロっと参加しているとネットで見知ったのが切欠です。

 その第三話を観ての感想。
 まず丁寧に作っているなと感じました。
 またメガネ及び電脳世界という発想として非常に興味深い物が見られ、それらが日常の中に溶け込んでいるその描き方にも惹かれました。
 とはいえ、この時点では面白さは保留、期待感はあるので視聴継続を決めたという程度でした。

 そして迎えた翌週。第四話『大黒市黒客クラブ』。これにやられました。
 あの電脳戦争の場面です。
 ショートカット、ミサイル、鉄壁、暗号、などなど如何にも非日常なSF的アイテムを使いつつ、我々から見て従来のSFでは現実とかけ離れた物であったこれらの描写をメガネを使った子供達の電脳遊びとして描いた事で、いかにも近未来的にに有り得そうで「これなら何時か実際に遊べるかも。むしろ何時か遊んでみたい」というある意味で身近に感じられる描き方がなされていたのです。
 この場面は映像的にも派手で面白く、電脳コイルの持つキャッチーな面を端的にあらわしてもいるのですが、その意味でもやられました。
 それでこの作品は面白いなとなって、以後毎週録画しては毎日それを見返す日々が続く事になりました。


 ここで一端、電脳コイルから話は逸れます。

 私は電脳コイルと出会う以前からHMD(ヘッドマウントディスプレイ)による映像表現という物に興味を持ってました。
 HMDとは電脳コイルのメガネの様なものです。ただし一般的にはメガネのようにレンズの向こうの現実の景色が見える事はなく、周囲への視界は塞いでHMDに映る映像を見せる物だと思われてました。(現在ではメガネのようにレンズの向こうの景色が透過して見える物も開発されています。問題があり実用化はまだ先のようですが。)
 SF映画や漫画などでは昔から使われていた道具ですね。

 現実でも1990年代から市販されていました。私も十年以上前になりますが電気屋さんで試着(?)した事があります。
 最近の物を試した事はないのであくまでその十年以上前の話ですが、これはまあ残念な出来でした。
 メガネの様な非常に狭い範囲で、仮想上で何メートルか手前にかなり大きめのスクリーンを映し出す訳ですから、当時の技術では画像が粗くならざるを得なかったわけです。この点は現在の物であれば多少は改善されていると思われます。

 またそれ以外の点でも問題はありました。
 HMDの持つ利点という物が全く生かされていなかったのですね。
 SFでこれが使われる時は全視界型の映像を見せる事でVR(ヴァーチャルリアリティー)へ没入する道具として登場しています。
 私が見た物はどれも多少大型のスクリーンが眼前数メートル先にあるといった程度の物で、没入感といった物は欠片も感じられませんでした。
 また、左右の目に別々の映像を映すことによる立体視なんてものありませんでした。

 更に何も技術的な問題ばかりではなく、おそらく今でも改善されてないだろう問題もあります。
 ソフトがないんですよね。
 立体視に関しては、アバターなど昨今はその手の映像作品が増えていきそうな気配があるので大丈夫そうですが、全視界型の映像に関しては現在でも全くと言って良いほど有りません。
 HMDに限らず全視界型のモニター環境が普及した上で(もしくは普及することを前提とした上で)なければ、それ用のソフトが開発される事はありません。
 その意味ではこの先もまだまだそういったソフトが開発される事はなさそうです。

 ついでに言いますとそういったソフトを開発する上では製作環境として全視界型モニターが必須になるのですが、技術的には可能だと思いますが製品としては存在していないので、特注でもしない限り製作環境を整える事すら不可能な訳です。


 とはいえそういった全視界型の映像が本当に全く無いかと言うとそうでもありません。
 代表的な物を言えばプラネタリウムですね。
 昔であればおそらく不可能だったでしょうが、現在ではプラネタリウムのスクリーン上にキャラクターが出て来て全周囲的な活躍をするなんて物もあります。
 また各種アミューズメントパークでもこの手の物はありますよね。
 ゲームセンターでは、ガンダムのコクピットを模した筐体に入り半球状のモニターに映った映像の中でオンライン対戦をするゲームもあるそうです。(これに関しては見た事もありませんが)
 他には現代アート作家でその種の手法を使われる方も居ますが、何れにしろどれも一般的ではありません。


 しかし最近知名度を上げて来ている物もあります。
 アバターが上映された事で有名になったIMAXシアターです。
 私はアバターは見なかったのですが、こちらも十年以上前になりますが新宿のIMAXシアターに行った事があります。

 この以前から人間の視覚を意識した上での映像表現というか視覚表現に興味があって、だからこそIMAXシアターの噂を聞き付けて出掛けたのですが、実際に行ってみて改めて色々と考えさせられるようになりました。

 ヘミングウェイの『老人と海』をロシア人の作家が油絵のアニメーションで描いた作品を主な目的として観に行ったのですが、こちらの作品は内容は良かったものの特にこの劇場で上映する必要性を感じられる作品ではなかったので今回は関係有りません。

 たぶん爆笑問題だったと思うのですが、お笑いの2人組みが出てくる作品というよりIMAXシアターの宣伝番組みたいな物も上映されたのですが、こちらは内容は詰まらなかったのですが体験としては非常に面白い物でした。
 例の立体視の為のメガネを装着した上で見たのですが、その立体視による臨場感もさる事ながら、IMAXシアターならではのテニスコート二枚分だか三枚分だかの大スクリーン。
 これをフルに使った映像というのは、視界をほぼ完全に占有してしまいます。
 通常、どんなに大画面であっても画面という四角として目に映り、四角の外の現実世界も当然目に入ります。
 映画館など四角の外は真っ暗であったとしても四角く切り取られた風景というのは、どうしてもその内と外とを見る側に認識させてしまいます。
 それがこのIMAXシアターにはありませんでした。
 現実世界を認識しようとしても出来ないんですよね。
 嫌が応でも映像世界に没入せざるを得ない。
 一応それまでにもアミューズメントパークなどで似たような体験をした事はあった筈なんですが、なんと言うかインパクトが違いました。正直かなりの衝撃を受けた訳です。
 また専用メガネによる立体視を用いない、先の宣伝番組程ではなかったと思うのですがスクリーンをかなりフルに使ったショートストーリーのドラマのような物もあったのですが、こちらも立体視が無いにも関わらずかなりの没入感があった様に覚えています。

 そんな当時の感想として、これを日常的に見られるHMDが普及したとしてもどっかで規制が掛かるんじゃないかと思いました。
 何と言っても没入し過ぎます。
 おそらくVRゲームが大流行すると思われるのですが、その世界から抜けられなくなるんじゃないかと本気で考えざるをえませんでした。

 ともあれ、それ以前から視覚表現に興味があったのは既に書いた通りですが、それは何もメガネやHMDに限った話では無かったわけでして、特にそういった映像表現を普及させうる手段といった考え方もすることは無かった為に様々な手段の一つとしてHMDを考えていたのですが、この体験から日常的に普及させる手段としてHMDにより興味を持つ様になりました。

 続きます。
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【2010/08/04 07:33 】 | 電脳コイル考察 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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